テラーノベル
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食卓から解放されたのは、救いではなかった。
叔父がため息混じりに言った。
「遥、昨日脱ぎ散らかして隠した服、まだ見つかってないんだろ。取ってこいよ。祠の裏だって聞いたぞ?」
(え……? 物置じゃなかったのか?)
“祠の裏”の一言で、場がざわっとした。
大人たちは決まって口にする。
「あそこは行くなって言ったのにねえ」
「本当に手がかかる子」
「人の忠告聞かないからこうなるのよ」
いとこたちは、目を合わせて笑っていた。
自分たちが隠したくせに、まるで“遥が勝手にやったこと”として扱われる構図が完成していた。
(祠の裏……あの湿った穴のことかよ)
(よりにもよって……)
晃司が立ち上がる。
「行ってこい。早くしろ。昼の準備の邪魔だ」
その声は命令というより、“課題を与える教師”のように淡白だった。
沙耶香は腕を組み、冷ややかに言う。
「裸のまま行く気? その格好、ほんと恥知らず。
タオル巻いとけば? 似合ってるよ、そういう“だらしない子”に」
遥は何も返せなかった。返したところで変わらない。
(服を取れば……終わりだ。今日が……終わる)
(でも、そんなわけない。戻ればどうせまた始まる)
(それでも……行くしかない)
足元の草は朝露で冷たく、土はぬかるんでいた。
裸に巻いたタオルは風で揺れ、肌にまとわりつく。
まるで“隠しているふりをした無防備”を強調するだけ。
祠は、本家の裏庭のずっと奥。
使われない灯籠と崩れた石段。
苔むした屋根の下に、小さな社だけが息をしている。
裏へ回ると、地面にぽっかりと黒い穴が空いていた。
昔は工具を入れていたらしい“地面を掘った物置”。
湿った空気が、息をするたび肺にまとわりつく。
(ここに……俺の服……?)
覗き込むと、泥と濡れた落ち葉の中に、
ぐしゃぐしゃになった自分の服が押し込まれていた。
シャツは泥水に浸かり、
ズボンは草と土にまみれ、
下着は踏まれた跡が残っていた。
それは“服”ではなく、
遥という存在の“象徴”そのものを地面に埋めたかのような状態だった。
(……最低だ。俺って……こんな扱いされるのが似合うって……みんな思ってんのか)
(いや、違うな……“似合うように”させられてきただけだ)
穴へ手を伸ばし、泥に触れた。
冷たく、ぬるぬるしていて、
服を引っ張り上げるたび、汚れが手のひらに貼りつく。
「……っ」
泥を握ったまま、遥は思わず歯を食いしばる。
それでも引き上げた服は重く、ずっしりと湿り、
まるで遥の存在そのものが“地面に落ちた残骸”として提示されているようだった。
(こんな服……着て戻ったら……何言われるんだ)
(でも……戻らないわけにはいかない)
(戻れば……また笑われて……また叩かれて……)
(それでも……戻るしか……)
服を抱えたまま、祠の裏を離れた。
泥が胸にも腕にもつき、タオルはすぐ汚れた。
どこを歩いても、足元の草が“逃げられない道”のように絡む。
祠から離れたところで、誰の姿もないのを確認し、
遥は泥だらけの服を見下ろした。
地面に叩きつけられたように、
シャツはくしゃくしゃで色も変わり、
ズボンは重く湿って、泥水がぽたぽた落ちている。
(……これ、着るのか?)
胸の奥がつきりと痛んだ。
タオルのまま戻れば——
“大の男が裸でうろついた”
“みっともない奴だ”
“恥という概念がないのか”
確実にそう言われる。
(服を着ても……汚いって叩かれるのはわかってる)
(でも……タオルのままだと、もっと……)
ゆっくりタオルを外すと、朝の冷たい空気が肌に刺さった。
その一瞬でさえ、誰かに見られている気がして身が強張る。
泥のついたシャツを広げると、
生乾きの臭いと土の匂いが混ざって鼻についた。
(……最低だ、これ)
それでも頭を通した。
泥が首筋につき、冷たさが皮膚を這う。
ズボンも湿ったまま足を入れ、
重みで腰にずしりと食い込む。
服を着る行為そのものが、
“汚れを全身になすりつける罰”のようだった。
(……着た。
けど……これで戻ったら……)
歩き出す足は石のように重かった。
ズボンから滴った泥水が足に触れるたび、
“見られたら終わりだ”という羞恥が胸を刺す。
祠の裏を離れてしばらくすると——
「うわっ、見ろよあれ」
いとこたちが待ち伏せしていた。
「着たんだ。泥まみれの。
……本当にバカなんだな、遥って」
女子が、あたかも哀れんでいるような声で言う。
「タオルのほうがまだマシだったよ?
その服で戻るとか……逆にすごいかも」
男子がわざと鼻をつまむ。
「くっさ。泥の臭いじゃねーぞこれ。
お前さ、服まで自分で汚して何がしたいの?」
——そう、もう完全に“遥が勝手にやった”になっていた。
(……戻りたくない)
(でも、戻らないほうが……もっと叩かれる)
遥は俯いたまま歩き続ける。
服を着たはずなのに、
裸よりも“さらけ出されている”気がした。
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