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春の匂いには、記憶が混ざる。
校門の前で立ち止まったとき、ふとそう思った。
風に乗ってきた桜の匂いが、小学校の裏門の桜とよく似ていたからだ。
あの頃、俺たちは五人だった。
特別な約束なんてなかった。
気づいたらいつも五人で帰っていた。
男三人、女二人。
健太、翔、俺。
奈緒と真里。
帰り道はいつも遠回りだった。住宅街のまっすぐな道を帰れば十五分で着くのに、わざわざ川の方へ曲がった。河川敷に降りて、石を蹴ったり、ボールを投げたり、ただ座って喋ったりする。
特別なことは何もない。
でも、その時間が終わるとは思っていなかった。
夕方になると、川の水がオレンジ色になる。
その色の中で、五人の影が長く伸びていた。
「将来さ」
翔がある日言った。
「みんなで同じ高校とか行ったらウケるよな」
「近くにあるじゃん」
奈緒が言った。
「第一とか」
「俺あそこ無理だわ」
健太が笑った。
「勉強できねえもん」
「別に勉強しなくても入れるって」
「嘘つけ」
くだらない会話だった。
でも、その時は。
本当にそうなる気がしていた。
中学に上がる前の三月。
俺の父親が転勤になった。
引っ越しが決まったとき、みんなで河川敷に行った。
夕方だった。
風が強くて、奈緒の髪が何度も顔にかかっていた。
「マジで行くの?」
健太が言った。
「うん」
「遠いの?」
「電車で一時間くらい」
「遠いじゃん」
翔が言った。
沈黙が落ちた。
でも、その沈黙は重くなかった。
「まあ」
真里が言った。
「高校でまた会うでしょ」
その言い方が、あまりにも当たり前だった。
だから誰も否定しなかった。
「だな」
俺も笑った。
「どうせまた会うし」
そのとき、誰も。
人間関係が終わる可能性なんて考えていなかった。
それから三年が過ぎた。
高校入学の春。
掲示板の前で、俺は名前を見つけた。
見覚えのある名字が、四つ。
最初は意味が分からなかった。
もう一度見る。
健太。
翔。
奈緒。
真里。
同じ高校。
同じ学年。
胸の奥で、何かが跳ねた。
「……マジか」
思わず声が出た。
最初に見つけたのは昇降口だった。
背中で分かった。
人の背中って、意外と変わらない。
「……おい」
声をかけると、その背中が振り返った。
「……」
一瞬、時間が巻き戻る。
「健太?」
健太は、俺を見た。
顔は小学校の頃とほとんど変わっていなかった。
少し背が伸びて、髪が短くなったくらいだ。
「久しぶり!」
俺は反射で笑っていた。
「覚えてる? 俺――」
「覚えてる」
健太は言った。
声が平坦だった。
「……お前」
健太が言った。
「マジで来たのか」
「うん。受かった」
「へぇ」
それだけだった。
沈黙が落ちる。
あれ、と思った。
もっとこう。
「うわ久しぶり!」とか。
「いつ戻ったんだよ!」とか。
そういう感じになると思っていた。
「……他のみんなは?」
俺が聞くと、健太は一瞬だけ視線を横に流した。
「いる」
「マジで?」
嬉しくなって声が上がる。
「じゃあさ、今度集まろうぜ。五人で」
その瞬間。
健太の表情が、ほんのわずかに動いた。
「……五人」
小さく繰り返す。
それから、目を逸らした。
「……忙しいから」
「え?」
「じゃ」
健太はそれだけ言って歩いていった。
廊下に一人残る。
しばらく動けなかった。
……なんだ今の。
残りの三人を見つけたのは、その日の放課後だった。
中庭のベンチ。
四人がいた。
健太、翔、奈緒、真里。
小学校の頃と同じ並び方だった。
その光景を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
思わず駆け寄る。
「おい!」
四人が顔を上げた。
視線が集まる。
「久しぶり!」
俺は笑った。
「覚えてるだろ?」
沈黙。
誰も何も言わない。
「あれ?」
少し笑ってごまかす。
「いや、さすがに覚えてるよな」
奈緒が目を逸らした。
翔はスマホを見た。
真里は表情を変えない。
「……何」
最初に口を開いたのは翔だった。
声が冷たかった。
「いや、だから……」
言葉が詰まる。
「俺だよ。小学校――」
「知ってる」
健太が言った。
「じゃあさ」
俺は続けた。
「今度また集まろうぜ。五人で」
沈黙。
風が吹く。
ベンチの上に桜の花びらが一枚落ちた。
誰も拾わない。
「……やめてよ」
小さく言ったのは奈緒だった。
「え?」
「そういうの」
顔はこっちを見ていない。
「……何が?」
奈緒は答えなかった。
代わりに翔が笑った。
乾いた笑いだった。
「お前さ」
俺を見る。
初めて会ったみたいな目だった。
「何も知らないんだな」
帰り道。
隣を歩いていた涼が言った。
「……あいつら」
「うん?」
「やめとけよ」
「何が?」
「関わらない方がいい」
「なんで?」
涼は少し黙ってから言った。
「……中学」
「?」
「色々あった」
「何が?」
涼は首を振った。
「俺の口から言うことじゃない。
でも――
とにかく」
涼は立ち止まった。
真剣な顔だった。
「お前が思ってるような奴らじゃない」
その夜。
布団の中で天井を見ていた。
河川敷の夕焼けが浮かぶ。
五人で笑っていた声。
あいつらは。
変わったのか。
それとも。
俺が知らないだけで。
あの三年間に、何かがあったのか。
もし。
俺も、あの中学にいたら。
――俺は今、どんな顔をしていたんだろう。
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