テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後、教室にはまだ熱が残っていた。
昼のざわつきが抜けきらないまま、空気だけが静かになっている。
机を挟んで座る生徒は、さっきまで何かを我慢していたみたいに、少し遅れて息を吐いた。
姿勢は崩れていないのに、力の抜き方が分からない感じが残っている。
「……普通にやってたんです」
前置きみたいに言う。
「授業も、部活も」
少し間が空く。
「友だちとも話してて、別に嫌なこともなくて」
そこで言葉が止まる。
視線は机の一点に落ちたまま動かない。
「でも、急に」
声が少しだけ低くなる。
「全部どうでもよくなる時があるんです」
廊下の奥で、誰かの声がして、すぐに消えた。
教室の中は、その残りだけが薄く漂っている。
遥はすぐには何も言わない。
「さっきまで普通だったのに」
続ける。
「帰り道とか、ふとした瞬間に」
一拍。
「なんかもういいやってなる」
指先が、机の縁をゆっくりなぞる。
「全部投げたくなるっていうか」
少し笑うが、うまく形にならない。
「頑張ってたのも、どうでもよくなる」
遥は、その言葉のあとでようやく口を開く。
「落差があるな」
短く言う。
生徒は小さく頷いた。
「あります。
急に切り替わる感じで
スイッチみたいに」
そこでまた少し黙る。
「そのあと」
視線を上げないまま言う。
「自分で引くんです。
さっきまで普通だったのに、なんでって」
遥は机の上に指を置いたまま、少しだけ間を取る。
「普通にやってる時」
静かに言う。
「無理してないか」
生徒はすぐには答えない。
考えるというより、探している間の沈黙。
「……してるかもしれないです」
やがて小さく言う。
「無理してる自覚はないけど」
一拍。
「ずっと気張ってる感じはある」
遥は軽く息を吐いた。
「それが溜まる」
生徒は顔を少しだけ上げる。
「溜まる?」
「外に出てない分が」
机を軽く叩く。
「まとめて落ちる」
教室はまた静かになる。
生徒はその言葉をゆっくり飲み込む。
「……じゃあ」
少し迷う。
1
「どうすればいいんですか」
遥はすぐには答えない。
窓の外に一瞬だけ目を向けて、また机に戻す。
「分けろ」
短く言う。
「何を」
「落ちる前に」
一拍。
「少し落とせ」
生徒は意味を測るみたいに黙る。
「小さい“どうでもいい”を作れ」
遥は続ける。
「全部じゃなくていい」
机の木目を指でなぞる。
「一個でいい」
「……例えば」
「どうでもいい授業の受け方でもいいし」
一拍。
「帰りに遠回りしてもいい」
「ちゃんとしない時間を」
少しだけ間を置く。
「意図的に作れ」
生徒はゆっくり息を吐いた。
「……全部ちゃんとやろうとしてたかもしれないです」
遥は否定しない。
「全部に意味を持たせると」
短く言う。
「逃げ場がなくなる」
教室の空気が少しだけ動く。
生徒はしばらく何も言わなかった。
考えているというより、どこかで納得している沈黙。
やがて立ち上がる。
椅子の脚が床を軽く擦る音がした。
扉の前で止まる。
振り返るまではしない。
「……急にどうでもよくなるの」
小さく言う。
「おかしいわけじゃないですか」
遥は答える。
「普通だ」
間を置かずに。
「ただ」
少しだけ遅れて続ける。
「溜めすぎてるだけだ」
生徒は何も言わず、扉を開けた。
廊下の音が一瞬だけ流れ込んで、すぐに閉じる。
教室にはまた静けさが戻る。
何もかもどうでもよくなる瞬間は、
突然来るように見えて、
たいていは静かに積み重なっている。