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猫塚ルイ

最初は、ただのアンケートだった。 放課後、クラスのグループチャットに送られてきたリンク。 送り主は、目立たない女子―― 三浦。
簡単な性格診断らしいよ
誰かがそう書いた。 深い意味はなかった。 俺――榊 春樹も、何も考えずに開いた。 質問は、妙に具体的だった。
あなたは、誰かに決めてもらうと安心することがありますか
自分で選ぶことに、不安を感じますか
もし“正しい答え”が存在するなら、それに従いたいですか
選択肢は曖昧で、どれも“少しだけ当てはまる”気がした。 だから、俺は適当にチェックを入れていった。 最後の画面。
『あなたは、適応性が高いタイプです』
その下に、小さく続く。
『“指標”を提示されると、より良い判断ができます』
意味はよく分からなかった。 次の日から、少しだけ変わった。 三浦が、時々言うようになった。
それ、違うと思う
誰かの発言に対して。 誰かの行動に対して。 強い言い方じゃない。 ただ、静かに、断定する。 最初は反発もあった。 でも、不思議と――
じゃあ、どうすればいい?
と、聞き返す空気が生まれていた。三浦は答える。
こっちの方が、正しい
それだけ。理由はない。 でも、なぜか納得してしまう。 俺も、一度だけ聞いた。
どっち選べばいいと思う?
進路の話だった。 三浦は少しだけ考えて、言った。
そっちじゃない
指差したのは、俺が選ぼうとしていた方とは逆。 一瞬、引っかかった。 でも――
……そっか
気づいたら、そう返していた。 その日から、妙な感覚が残った。 自分で決めると、少しだけ不安になる。 でも、三浦に聞くと――その不安が、すっと消える。 数日後。 クラスの中で、はっきりと変化が見え始めた。 誰かが何かを言うと、自然に三浦を見る。 三浦が頷くと、話は進む。 首を振ると、止まる。 誰もそれを指示していない。 でも、全員がそれをやっている。 ある日、気づいた。 三浦がいない時間。 教室が、妙にざわつく。
これ、どうする?
どっちだと思う?
……分かんない
決められない。 簡単なことのはずなのに。 妙に、怖い。 俺はスマホを開いた。 あのアンケートのページ。 まだ残っている。 最初はなかったはずの項目が、増えていた。
『現在、あなたの判断精度は安定しています』
『“基準”への依存度:中』
スクロールする。
『依存度が上昇すると、不安は軽減されます』
その日の夜。 初めて、自分で決めようとした。 夕飯のメニュー。 些細なこと。 でも――選べない。 どちらも間違いな気がする。 どちらも正しくない気がする。 胸の奥がざわつく。 息が浅くなる。 そのとき、通知が来た。 三浦からのメッセージ。
『そっちじゃない』
心臓が、一気に落ち着いた。 理由もなく。 ただ、それでいいと思えた。 次の日。 クラスの数人が、明らかに様子がおかしかった。 一人の男子が、言う。
昨日さ、三浦いない時間、無理だった
笑いながら言っているのに、目が笑っていない。
なんか、決めるの怖くてさ
別のやつが続く。
分かる。間違えたらどうしようってなる
そのとき、三浦が教室に入ってきた。 全員の視線が、一斉に向く。 三浦は、何も言わない。 ただ、席に座る。 それだけで――空気が、整う。 俺は、ふと気づいた。 自分の中で、何かが変わっている。 「正しいかどうか」を、自分で判断していない。 三浦が「正しい」と言えば、それが正しい。 それだけで、安心できる。 ある日、三浦が言った。
ねえ、試してみない?
小さな声。でも、教室全体に届く。
もし、“間違った人”がいたらどうなるか
ざわつきが起きる。 誰も意味を理解していないのに、誰も否定しない。 一人の女子が、名前を挙げた。
……あの子、違うと思う
理由はない。ただ、なんとなく。 三浦は、少しだけ見て――頷いた。
うん、違う
その瞬間。 全員の中で、“確定”した。 次の日から、その子は浮いた。 無視ではない。 もっと曖昧なもの。 話しかけるタイミングがズレる。 目が合わない。 会話が途切れる。 誰も意図していない。 でも、確実にズレていく。 その子が、泣きながら言った。
なんで?
誰も答えない。答えられない。 ただ――三浦を見る。 三浦は、静かに言った。
だって、違うから
その瞬間。全員が理解した。 理由は必要ない。 “違う”と決まったから、そうなるだけ。 俺は、そのとき思った。 これ、戻れないな。 その夜。 また、アンケートのページを開く。
『依存度:高』
『おめでとうございます』
意味の分からない表示。 その下に、新しい一文。
『あなたは、もう“自分で決める必要がありません”』
少しだけ、怖かった。 でも――安心の方が、大きかった。 翌日。 三浦がいない。 教室が、一瞬で崩れる。
どうする?
何が正しい?
分かんない
誰も、動けない。 そのとき。誰かが言った。
……三浦がいないと、無理じゃね?
静寂。 その言葉が、じわじわ広がる。 俺は、気づいた。 違う。 三浦じゃない。 “正しさ”がないと、無理なんだ。 誰かが、震えながら言う。
じゃあ……誰が決める?
全員の視線が、ゆっくりと動く。 一人、また一人。 誰かを探すように。 そのとき。 なぜか、俺に視線が集まった。 心臓が跳ねる。
……春樹、どう思う?
喉が乾く。言葉が出ない。 でも――出さなきゃいけない。 ここで止まったら、全部が崩れる。 俺は、口を開いた。
……違うと思う
誰に対してかも分からないまま。 ただ、そう言った。 一瞬の沈黙。 そのあと。全員が、ゆっくり頷いた。 その瞬間。理解した。 これが、“代わり”だ。 安心が、広がる。 同時に。どこかで、分かっている。 もう、自分では戻れない。 そして、スマホが震える。 見覚えのない通知。新しい画面。
『基準の引き継ぎが完了しました』
俺は、画面を閉じた。 何も考えないようにして。 ただ一つだけ、思う。 誰かが決めてくれるなら、それでいい。 たとえそれが、自分を消すことでも。