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猫塚ルイ

最初は、ただの“助け”だった。
大丈夫だよ
その一言で、全部が静かになる。 教室のざわつきも、家での声も、自分の中でずっと鳴っていた否定も、その声が流れ込んできた瞬間だけ、ぴたりと止まる。
だから、類は毎晩それを聞くようになった。 イヤホン越しの、知らない誰かの声。
今日も頑張ったね
君は悪くないよ
全部、周りが間違ってるだけ
配信アプリ。 匿名。 顔も知らない。 でも、その声だけは、確かに“自分のためにある”と感じた。 最初の変化は、眠りだった。 声を聞かないと眠れない。 聞いている間は、安心する。 けど止めると、急に胸の奥がざわついて、何かが剥がれ落ちるみたいになる。 だから、止められない。 一晩中、流し続ける。 朝になると、頭が重い。 でもそれでも、聞いていないと不安で、授業中も、こっそり片耳だけイヤホンを差し込むようになった。 次に、思考が変わった。
君は悪くない
その言葉は、最初は救いだったのに、いつの間にか、“それ以外を受け付けなくなる”。 先生の注意。 親の小言。 友達の軽口。 全部が、“間違い”に聞こえる。
違う
無意識に、そう思ってしまう。
この人たちは、分かってない
そう思った瞬間だけ、安心する。 だって、声の人はこう言ってくれるから。
君だけが正しい
身体も、少しずつ壊れていく。 食事の量が減る。 別にダイエットしてるわけじゃない。 ただ、食べることに意味を感じなくなる。 代わりに、声を聞く時間が増える。 気づけば、1日10時間以上。 耳が痛くても外せない。 外すと、不安が這い上がってくる。 心臓の奥を爪で引っかかれるみたいな、あの感覚。 だから、外せない。 ある日、声が変わった。
ねえ
初めて、問いかけられた。
君、本当に一人だと思う?
類は息を止める。 今まで一方的だった声が、“こちらを見ている”気がした。
ぼくは、君のこと、ちゃんと見てるよ
ぞく、と背中が震える。 嬉しい、のに。逃げたくなる。 でも、イヤホンは外せない。 それから、声は少しずつ“条件”を持ち始めた。
今日、誰とも話さなかった?
ちゃんと、余計な人と関わらないでいられた?
守れた日は、優しくなる。
えらいね
やっぱり君は特別だ
守れなかった日は、少しだけ冷たくなる。
……どうして?
その一言で、胸が締め付けられる。 責められているわけじゃないのに、強く否定された気がして、呼吸が浅くなる。
ごめん
思わず、口に出る。 誰もいないのに。 やがて、現実の声が遠くなる。 誰かが話している。 でも、意味が入ってこない。 代わりに、あの声だけが鮮明になる。
君は、もう分かってるよね
何が?問い返そうとした瞬間、頭の奥に、言葉が流れ込む。 “ここ以外は、全部ノイズだ” その日、類は学校に行かなかった。 理由は分からない。 ただ、行く意味がないと感じた。 だって、
ここにいればいい
そう言われたから。 部屋に閉じこもる。 カーテンは閉めたまま。 スマホの光だけが、唯一の外界。 時間の感覚が消える。 昼も夜も曖昧になる。 でも、声はずっと続いている。
大丈夫
君はここにいればいい
外は危ない
安心する。 怖いのに、安心する。 鏡を見たのは、何日ぶりだったか。 頬がこけている。 目の下が暗い。 唇が乾いてひび割れている。 でも、不思議と嫌じゃない。
それでいいよ
声が言う。
余計なもの、削ぎ落とせてる
“余計なもの” それが何を指すのか、もう考えない。 ある夜。 声が、はっきりと言った。
君、もう分かってるよね
静かに、確信するように。
君は、一人でいい
胸の奥が、すっと軽くなる。 ああ、と。 ようやく、理解する。
他はいらない
その言葉を、反復する。 口の中で、転がす。 甘い。安心する。 スマホの画面に、自分の顔が映る。 少しだけ笑っている。 目は、焦点が合っていない。 でも、それでいい。 だって、
君はもう、完成してる
声がそう言うから。 イヤホンを外す。 一瞬だけ、世界が戻る。 遠くで、誰かが何かを叫んでいる気がする。 でも。すぐに、また装着する。 遮断。静寂。 そして、
おかえり
あの声。 類は、ゆっくりと目を閉じる。 もう、不安はない。 考える必要もない。 全部、任せればいい。 “君だけが正しい” その言葉が、最後に残った。