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#読み切り
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昼休みが終わったあとの教室は、少し湿っている。
窓は開いているのに、空気が抜けきらない。
生徒は椅子に浅く座っている。
「……怒れないんです」
遥は視線を上げない。
「嫌なことされても」
一拍。
「まあ、いっかって」
机の端を指でなぞる。
「本当は嫌なんですけど」
少し笑う。
「でも、その場になるとどうでもよくなるっていうか」
沈黙。
「怒るのって、エネルギーいるじゃないですか」
小さく息を吐く。
「そこまででもないかなって思っちゃう」
一拍。
「で、あとから」
声が落ちる。
「なんで何も言わなかったんだろって」
教室は静かだ。
「怒った方がいい場面、ありますよね」
遥は短く言う。
「あるな」
生徒は少し安心した顔をする。
「でも、できない」
沈黙。
「怒鳴れって言ってるわけじゃない」
遥は言う。
「怒るってのは、感情を外に出すことだ」
一拍。
「お前は、外に出さない方を選んでる」
生徒は少し眉を寄せる。
「選んでるんですか?」
「癖だ」
短い。
「怒ると、面倒になるって知ってる」
静か。
「空気が悪くなる。人が離れる。評価が下がる」
一拍。
「だから切ってる」
生徒は何も言わない。
遥は続ける。
「怒らないのは、優しいからじゃない」
少し間。
「守ってるだけだ」
沈黙。
生徒の指が止まる。
「……何を」
小さい声。
遥はすぐに答えない。
「自分の安全圏」
教室の音が遠くなる。
「怒るってのは、一瞬、無防備になることだ」
低い声。
「嫌だって言うのは、弱みを見せることだからな」
生徒は視線を落とす。
「じゃあ」
迷う。
「怒れないままの方がいいですか」
遥は首を横に振らない。頷きもしない。
「怒らなくても生きられる」
短い。
一拍。
「でも、怒れないと」
少しだけ間を置く。
「線が引けない」
静か。
「線?」
「ここから先は嫌だって線」
机を軽く指で叩く。
「怒りは、境界線の色だ」
生徒は黙る。
「出さなくてもいい」
遥は言う。
「ただ、自分の中では認識しろ」
一拍。
「今、越えられたなって」
沈黙。
「それだけで違う」
生徒はゆっくり息を吸う。
「……怒らなくても、分かってればいいんですか」
「最初はな」
短い。
「慣れたら、小さく言え」
一拍。
「“それは嫌”でいい」
教室が静まる。
生徒はしばらく考えてから、小さく頷く。
「怒るって、爆発だと思ってました」
「違う」
即答。
「表示だ」
短い沈黙。
「怒鳴る必要はない」
遥は視線を少しだけ上げる。
「消えるな」
生徒は目を瞬かせる。
それから、少しだけ笑った。
さっきとは違う笑い方だった。
立ち上がる。
椅子が床を擦る。
扉の前で振り返る。
「……表示、してみます」
遥は何も言わない。
扉が閉まる。
教室は静かだ。
怒らないことは、強さに見える。
でも本当は、
ずっと静かに耐えてきただけのこともある。
遥は窓の外を見る。
線は、見えなくても引かれている。