テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
115
琥珀糖
ドアが閉まる音は、小さかった。
それでも、家の中では十分だった。
「……遅い」
リビングから、声が飛んでくる。
低い。
抑えているようで、抑えていない温度。
遥は靴を揃える。
視線は床のまま。
「……学校、終わる時間は決まってるよな」
返事をしなければならない。
けれど、何を言っても“理由”になる。
「……寄り道、してない」
言った瞬間、後悔する。
“してない”は、問い返される形を作る。
「してない“はず”ないだろ」
足音が近づく。
距離が詰まるだけで、呼吸が浅くなる。
「誰といた」
短い問い。
遥は、ほんの一瞬だけ迷う。
名前を出せば、そこが次の標的になる。
出さなければ、“隠した”ことが罰になる。
「……ひとりで」
選んだのは、嘘でも本当でもない曖昧さ。
その瞬間――
腹に衝撃が入る。
蹴り。
不意打ちに近い角度。
息が抜ける。
「質問にちゃんと答えろって言ってんだろ」
床に膝が落ちる。
さっきまで学校で強いられていた姿勢と、ほとんど同じ形。
違うのは、“見ている人数”だけ。
「ひとりで帰るわけないよな?」
後ろから、肩を掴まれて引き上げられる。
「最近、妙に帰り遅いし」
掴む力が強くなる。
爪が食い込む。
「誰とつるんでんの」
問いは同じでも、意味が変わる。
これは確認じゃない。
“支配の外に出ていないか”の検査。
「……っ……」
声が出ない。
出せば、震える。
震えれば、“図星”と取られる。
沈黙が一秒続く。
それだけで、十分だった。
頬を打たれる。
横から。
さっき学校で受けたものより、ずっと重い。
「黙るってことは、いるんだな」
決めつけ。
でも、それでいい。
彼らにとっては、“理由”は作れればいい。
「調子乗ってんじゃねえよ」
今度は背中。
拳で、二度、三度。
逃げようとした動きが見えた瞬間、
ベルトが抜かれる音がした。
シュッ――。
空気を裂く音。
「最近、“守られてる”とか思ってない?」
言葉と同時に、振り下ろされる。
パシンッ。
肩口に当たる。
服の上からでも、はっきりと線が残る衝撃。
「学校で何されてるか知らないけどさ」
もう一発。
今度は背中の中心。
「ここでは関係ないから」
繰り返される。
一定のリズムじゃない。
わざと間隔をずらして、予測できないように。
「ルール、忘れてないよな?」
ベルトの先が、顎を上げるように当てられる。
無理やり視線を合わせられる。
「“外の人間を家に持ち込まない”」
その言葉の意味は、単純じゃない。
名前を出すこと。
庇うこと。
心の中で頼ること。
全部が“持ち込み”になる。
「……持ち込んでない」
かろうじて出した声。
掠れている。
でも、はっきり言ったつもりだった。
その“つもり”が、逆に火をつける。
「今、“否定した”よな」
低くなる声。
「じゃあ証明しろよ」
ベルトが外れる。
代わりに、床に転がっていた木の棒(掃除用具の柄)が拾われる。
学校で使われていたのと、よく似た形。
「立て」
命令。
足が震える。
それでも、立つしかない。
「背中、まっすぐ」
肩を押される。
「逃げんなよ」
棒の先が、背中に押し当てられる。
昼と同じ構図。
でも、違う。
強さが、加減されていない。
ぐっと押し込まれる。
「声、出すな」
条件が重なる。
出しても罰。
出さなくても罰。
昼と同じ構造。
でも、ここでは“終わり”が誰にも管理されていない。
痛みが、一直線に入る。
「……っ……!」
抑えきれず、声が漏れる。
その瞬間、さらに押し込まれる。
「今の、アウト」
淡々と。
「ほら、やり直し」
やり直しに“回数制限”はない。
どこで終わるかは、相手の気分次第。
呼吸が乱れる。
視界が揺れる。
それでも、逃げられない。
「外で変な影響受けてんだろ」
押し込みながら、言葉が続く。
「黙ってりゃいいのに、余計なこと考えるからこうなる」
さらに力がかかる。
背中の一点に、熱が集まる。
「ここでちゃんと覚え直せ」
低く。
「お前は、ここでは“従うだけ”でいい」
押し込まれるたびに、身体が前に揺れる。
倒れれば終わると思っても、倒れさせてもらえない。
「ほら、言え」
言葉を強要される。
「……な、に……」
「“俺は従うだけでいい”って」
否定は許されない。
沈黙も許されない。
だから――
「……おれ……は……」
喉が引きつる。
息がうまく通らない。
「……したが、う……だけで……いい……」
言い切った瞬間、力が抜ける。
棒が離れる。
支えを失って、膝が崩れる。
床に落ちる。
呼吸が荒くなる。
止めようとしても止まらない。
上から、視線だけが落ちてくる。
「最初からそうしてろよ」
それだけ言って、足音が離れる。
部屋に残るのは、荒い呼吸音だけ。
誰もいないはずなのに、
まだ“見られている感覚”が消えない。
声を出していいのに、出せない。
動いていいのに、動けない。
身体が、“ここでのルール”に固定されたままになる。
時間がどれくらい経ったのか分からない。
ただひとつ確かなのは――
夜は、まだ終わっていない。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!