テラーノベル
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放課後の教室は、半分だけ明るかった。
窓際の机だけ光が強くて、黒板の方は影になっている。
生徒は椅子に座ってから、カバンを足元に置き直した。
置いたあとも、手を離さない。
「……変な相談かもしれないです」
遥は何も言わない。
「昔のこと思い出すと」
一拍。
「自分のことなのに、自分じゃないみたいに感じるんです」
静か。
「小学校のときとか。中学入った頃とか」
机の表面を見る。
「覚えてはいるんですけど」
言葉が遅くなる。
「なんであんなことしてたのか、分からない」
沈黙。
「好きだったものとか。仲良かった人とか」
指先が動く。
「本当に好きだったのかも、分からなくて」
遥は顔を上げない。
「記録みたいなんです」
生徒は少しだけ考えてから言う。
「写真見てるみたいな感じで」
一拍。
「知ってる人なんですけど」
声が小さくなる。
「自分じゃない」
教室の奥で、机がきしむ音がした気がした。
「別に、嫌な思い出ばっかじゃないです」
生徒は続ける。
「普通に楽しかったはずなのに」
息を吐く。
「でも、そのときの気持ちが、もう無い」
沈黙。
「だから」
声が少しだけ落ちる。
「今の自分も、あとから見たら他人みたいになるのかなって」
遥は、ゆっくり息を吐いた。
すぐには話さない。
「なるだろうな」
短く言う。
生徒が少し顔を上げる。
「人間は、更新される」
遥は続ける。
「前のやつは、残らない」
教室が静かになる。
「でも、同じ人ではある」
一拍。
「線は切れてない」
生徒は黙って聞いている。
「分かんなくなるのは、普通だ」
遥の声は低い。
「同じままのやつの方が、少ない」
沈黙。
「……でも」
生徒は少し迷って言う。
「薄すぎて」
言葉を探す。
「本当にいたのか、分からなくなるんです」
静か。
遥は少しだけ考える。
「覚えてるなら、いた」
それだけ言う。
「感情が消えても、事実は消えない」
一拍。
「逆もある」
生徒の目が少し動く。
「感情は残ってるのに、事実が曖昧なやつもいる」
遥は机に手を置く。
「どっちでも、人間は続く」
沈黙が落ちる。
生徒は少し長く黙ってから言う。
「……なんか」
息を吐く。
「空っぽになっていく感じがして」
遥はすぐには返さない。
窓の外を見るでもなく、少し視線が止まる。
「空になるわけじゃない」
短く言う。
「上書きされるだけだ」
静か。
「残らないのが普通だ」
一拍。
「残りすぎる方が、動けなくなる」
その言い方だけが少し硬かった。
生徒は気づかない。
「……前の自分に戻りたいとかじゃないんです」
言う。
「ただ」
少し考えてから続ける。
「ちゃんと繋がってるのか、分からなくなる」
遥は机の端を指で押す。
「繋がってなくても、進める」
静か。
「今のやつが動いてるなら、それで足りる」
沈黙。
長い。
生徒はようやく頷いた。
「……なんか、安心しました」
立ち上がる。
椅子が小さく鳴る。
カバンを持つとき、さっきより迷いがない。
扉の前で止まる。
「前の自分が変でもいいんですね」
遥は短く答える。
「変わってない方が、不自然だ」
扉が閉まる。
教室はまた半分の明るさに戻る。
机の上の光だけが残っている。
遥はしばらく動かない。
前の自分のことは、思い出さない。
思い出さなくても、
続いていることだけは分かっていた。
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