テラーノベル
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放課後の光が、窓の桟に細く残っていた。
教室の隅、机を二つ並べただけの相談スペースに、生徒が来る。
カバンを足元に置き、椅子に座るまでに少し間があった。
「……昨日まで大丈夫だったんです」
遥は何も言わず、続きを待つ。
「同じことしてるだけなのに、
今日はなんか浮いた感じがして」
生徒は指先で机を叩く。
音は小さい。
「話し方も、
テンションも、
変えてないつもりなんです」
視線は下のまま。
「でも、
急に“今それ?”みたいな空気になって」
一拍。
「昨日は普通だったのに」
遥は窓の外を一度だけ見た。
「基準、日替わりだな」
生徒が少し顔を上げる。
「……そうなんです」
苦笑に近い表情。
「空気読むの、
嫌いじゃないんですけど」
間。
「正解が毎日変わると、
もう分かんなくなって」
沈黙が落ちる。
廊下で誰かが笑う声。
「で、黙る」
遥が言う。
生徒は小さく頷いた。
「はい。
黙ってれば、間違えないんで」
「間違えない代わりに、何も起きない」
淡々とした声。
生徒は答えない。
「何も起きないと、楽だけど」
遥は机の端を指で押す。
「存在感も薄くなる」
生徒の肩が少し下がった。
「……薄い方が楽です」
「楽だな」
否定しない。
「でも、急に振られる」
生徒が顔を上げる。
「“なんで何も言わないの?”」
そのまま続ける。
「“いる意味ある?”」
空気が少し固まる。
生徒は目を逸らした。
「……あります」
小さい声。
「でも、その場だと出てこない」
「出てこないのは、遅いからじゃない」
遥は言う。
「考えてるからだ」
生徒の目が揺れる。
「考えてるやつほど、
即答しない」
一拍。
「でもな、
周りは待たない」
生徒は、苦笑した。
「待ってくれないです」
「だから、
基準が変わると置いていかれる」
遥は続ける。
「お前が変わったんじゃなくて、
基準が動いてる」
生徒は少し黙る。
「……それ、
どうしたらいいですか」
すぐには答えない。
「全部合わせなくていい」
短く言う。
「一個だけ、固定しろ」
生徒は戸惑う。
「何を」
「自分のペース」
遥は視線を向ける。
「毎日変わる空気に、
全部合わせてたら」
言葉を切る。
「回復する時間がなくなる」
生徒は息を吸う。
「でも、浮きます」
「少しはな」
遥は即答する。
「でも、
昨日まで普通だったやつが
急に変になる方が不自然だ」
生徒は考え込む。
「……じゃあ、
昨日と同じでいいですか」
「いい」
遥は言う。
「日替わり基準に、
毎回付き合うな」
沈黙。
「浮いたら」
遥が続ける。
「今日はそういう日だって
決めろ」
生徒は小さく笑った。
「それ、雑ですね」
「雑な方が持つ」
遥は淡々と返す。
椅子が動く音。
生徒が立ち上がる。
扉の前で止まる。
「……昨日まで普通だった自分、
消さなくていいんですね」
「消す必要ない」
遥は黒板を見る。
「基準が動いてるだけだ」
生徒は一度だけ頷き、出ていった。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
遥は机の位置を少し直す。
「合わせ続けると、
自分の基準が消える」
誰に向けるでもなく言う。
廊下の奥から、
次の足音が近づいてきていた。
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